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『死を受け入れる患者さんの心を支え、        援助をするのも医師の役目である』

下記facebookからの記事の引用でございます

6月6日
『死を受け入れる患者さんの心を支え、
援助をするのも医師の役目である』
〜我が命燃焼す 日野原重明先生の言葉〜
医師としての原点を語る時、
もう一つ外せないのが、
医局に入ったばかりの頃、
最初に担当した
結核性腹膜炎の16歳の少女です。
彼女には父親がおらず、
母親が女工として働いていました。
家が貧しくて彼女自身も中学に行かず
働いていたのですが、
ある時、結核を患って入院してきたんです。
その病室は8人部屋で、
日曜になると皆の家族や友人が
差し入れを持って見舞いにくる。
でも彼女を訪ねてくる人は
ほとんどいない。
母親は日曜も工場で働いていたから、
見舞いにもなかなか来られなかったんです。
私は日曜になると
教会の朝の礼拝に出席するため、
同僚に彼女のことを頼んでいました。
ところがある時、その同僚から
「日野原先生は、日曜日はいつも
病院に来られないから寂しい」と
彼女が言っていたと聞かされ、
以来私は朝教会に行く前に病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。
ところが当時は
結核の治療法がなかったために、
どんどん容態が悪くなっていってね。
非常に心配していたんですが、
ある朝様子を見に行くと、
「先生、私は死ぬような気がします……」
と言うんです。
私は「午後にはお母さんが来られる予定だから、
頑張りなさい」と言いました。
すると彼女はしばらく目を閉じて、
また目を開いて言葉を続けました。
「お母さんはもう間に合わないと思いますから…。
私がどんなにお母さんに感謝していたかを、日野原先生の口から伝えてください」
そうして手を合わせる彼女に、
私は「バカなことを言うんじゃない。
死ぬなんて考えないで!もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」
と言って、その言葉を否定したんです。
ところが見る見るうちに
顔が真っ青になっていったので、
私は看護師を呼んで
「強心剤を打って延命しよう」と言い、
弱っている彼女に強心剤をジャンジャン打った。
そして
「頑張れ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。
彼女はまもなく茶褐色の胆汁を吐いて、2つ3つ大きく息をしてから無呼吸になりました。
私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に聴診器を当てましたが、もう2度とその心音を捉えることはできませんでした。
私は彼女の遺体を前にして、
どうしてあのとき
「安心して成仏しなさい。
お母さんには、私があなたの気持ちを
ちゃんと伝えてあげるから」と
言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、と悔やまれてなりませんでした。
私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。
この時に、医師というのは
ただ患者さんの命を助けるのじゃない。
死にゆく人たちの心を支え、
死を受け入れるための
援助をしなければならないのだと思いました。


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